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【89ERS PRESS Vol.52】髙岡大輔の心

B2東地区4位に甘んじている訳にはいかないと、ヘッドコーチ交代の大改革が行われた仙台89ERS。急な展開とあってか、高岡ヘッドコーチの新体制でもなかなか勝てずにいる状態だ。浮上のきっかけは?チームが目指すものは?―その舵取りを担う高岡ヘッドコーチに、自身が歩んできた道も含め、バスケへの思いを語ってもらった。(1月24日取材)


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突然のHC就任。まだ勝てず辛いけれど、進むしかない。

去年の暮れ、中村球団代表からヘッドコーチを打診された時は驚いたけれど、自分がやるしかないと思いました。後藤ヘッドコーチのアシスタントとして今季の半分をやってきて、チームのことも選手の特徴も分かってますからね。ただ、まだ勝てていないので、正直なところ精神的には相当きついです。それでもチーム全員、これから目指す方向はそろっているので、なんとか結果を出したいところ‥。

そもそも、以前の僕はコーチ業に就く考えはありませんでした。それが昨シーズン、現役続行を希望している僕に、間橋さん(2016-17シーズンヘッドコーチ)がアシスタントコーチをやってみないかと声をかけてくれました。かなり考え悩んだ上で、このチームでならと決心した。実際にやってみると、想像以上に大変で、知っているようで知らないことばかり。それでも対戦チームを事前に分析し、その対策が実を結んだ時の嬉しさも実感できた。コーチ業としてのバスケットの楽しさにも気づき、その流れの延長に今がある訳です。

 

高校からバスケ部へ。強いチームで、ただただ打ち込んだ。

僕がバスケットを始めたのは、長崎の私立瓊浦(けいほう)高校入学からで、特待生として熱心に誘われたことがきっかけ。でも練習はきついし、サイズがあったから経験がないのに1年のウインターカップにも出された。「大きいだけ‥」と陰口され、当時はすごく辛かったです。

転機は多分、2年のインターハイでスタメンになったこと。自分は責任感が強いので、とにかくやらなくちゃと何も考えずに打ち込んだ。楽しいという記憶は一切ないけれど、チームが強く全国大会にも出場したことで、多くの優秀な選手から刺激を受け、学ぶことができました。

そういえば高校時代、全日本ジュニアの合宿で仙台高校の4人と同部屋になり、その中に雄彦(志村選手)がいました。全国トップレベルの仙高4人に対し、僕は地方から来た1人ということで、話はほとんどしなかったけど‥。考えてみれば、これが雄彦との最初の出会いですね。

 

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大学から日本リーグ2部、1部、そしてbjリーグ仙台へ。

拓殖大学に進学したのは、高校の先輩が行っていたことと、当時の森下監督が長崎県出身で声をかけてくれたことが大きかった。1学年上に現在栃木HCの安斎竜三さんがいて、3学年上にトヨタ副GMになった渡邊拓馬さんもいました。関東リーグに来てみると、また改めてすごい選手ばかり。やはり見て学びましたね。

当時は大学卒業後の日本のトップリーグ入りはかなり狭き門で、僕はJBL2部の大塚商会へ。

その後2007年、大塚商会を引き継ぐ形で栃木ブレックスができ、僕も新チームのキャプテンとして移りました。ところが2部のプロチームは栃木だけだったので、目の敵にされて大変だった。それでも1年目のシーズンを3位で通過し、最後は優勝してJBLに上がることができた。新しいチームを作ることに携わり、いい経験をさせてもらいました。しかしトップリーグになった2年目は、全日本級の選手が沢山入り、僕はプレータイムがもらえなくなってしまいました。


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バスケ人生のターニングポイントは、いつも仙台?!

翌2009年、新天地を求めてbjリーグの仙台に。当時は炎さん(現京都・浜口ヘッドコーチ)がヘッドコーチを務め、雄彦は2年目でしたね。あの頃のbjルールは外国籍選手枠が大きく、日本人は小柄で外角シュートの上手い選手が起用される状況。僕は出番がなく、かなり葛藤したものです。しかも仙台は新設だった栃木の時とは違い、炎ファミリーが出来上がっていて、僕は完全に外様状態でした。

それでも徐々に慣れ、翌年ぐらいからプレータイムも増えたものの、2011年に大震災が起きてしまった。リーグの救済制度、レンタル移籍で宮崎に呼んでもらえたのは、とても有り難かったです。

2013年、新設の青森から誘いを受けて移籍。この時はチームづくりから関われたので居心地が良く、キャプテンとして2年プレーしました。

その後仙台に戻って1シーズンプレーし、昨シーズンは現役続行を希望したけれど、アシスタントコーチになった。でも、そのお陰で今の自分がある。初めて仙台に来て、震災、青森、また戻って‥。僕のターニングポイントは、いつも仙台にあるような気がしますね。

 

頭の中は24時間バスケ漬け。勝つまで頑張り続ける。

家族は妻と、3歳と5カ月の男児2人。昔は家族との時間もあったけど、コーチ、特にヘッドコーチになってからは相当迷惑をかけています。アシスタント時代はデータ集めや映像編集に時間がかかり、プライベートの時間を使うしかなかった。今はこれにヘッドコーチの仕事も増えたので、寝る時間を削るような状態です。子どもと一緒でも上の空だったりして申し訳ないけれど、今は24時間バスケのことばかり。

体調を心配されても、多分特効薬は勝つことしかないんです。とにかく頑張るしかない。

自分の性格は、大ざっぱに見えるけど実は細かく、結構面倒なタイプかもしれません(笑)。良くも悪くも相手の短所を見つけるのが得意だし、あだ名をつけるのも得意(笑)。おまけに頑固で、これと決めたら突っ走ってしまう方です。でも色々経験し、学んできましたから‥。バスケットはチーム間のコミュニケーションが不可欠なので、相手に対して自分から心を開いていこうというスタイルを続けています。


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「頑固」から「柔軟」へと、経験から学び、活かしたい。

座右の銘も、以前は「まっすぐ」だったけれど、今は曲がることも必要と考えるようになりました。ボールは1個でも、見る角度によって見え方は変わってくる。これが絶対との信念を持つことも大切だけど、刻々と変わる状況を判断し、何でも吸収できるしなやかな頭や心も不可欠だと思っています。

リスペクトするのは大学時代の監督の森下先生。多くのことを教わり、僕のバスケットの礎になっています。また大学の先輩の渡邊拓馬さんも、素晴らしいプレーヤーでありながら、誰にでも色んなことを教えてくれた。2人の存在は大きいですね。

昔の僕は背が高いことだけで、バスケをしていた気がします。大塚商会時代も、がむしゃらだったけれど、自分勝手でした。バスケは考えながらやるスポーツだと気づいたのは、栃木でキャプテンになってから。どうやって勝つかを真剣に考えるうちに、大学で先生や先輩に言われたのはこの事だったと‥。経験を積んで得るものって大きいですよね。

 

強い信頼関係が、強いチームを作ると信じて進む。

優勝の可能性があるチームは、「行くぞ!」という瞬間に、全員が同じ方向を見る結束力がある。プロ選手というと、どうしても「自分」中心になりがちです。「自分」を持ちつつ第三者的に自分を評価し、チームのために何をできるかを考えられる選手が多ければ、優勝に近づくでしょう。

89ERSはこれから、ディフェンスを組織化してチーム機能を強化します。全員が全員のために動かなければならない。そのためには、チームは仲良しなだけではない、何でも言い合える強い信頼関係が必要です。まず僕が選手たちを全力で信頼していきます。

ブースターさんの応援は、しっかりとヘッドコーチの僕の力にもなっています。追い上げ場面の声援は胸に迫ってくるほどなのに、まだ勝てず本当に申し訳ないと思っています。必ず結果を出していくので、これからも応援での後押しをよろしくお願いいたします。
 

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