HOME > press > 【89ERS PRESS Vol.48】後藤敏博の心

今季、B2東地区としてスタートする仙台89ERS。メンバー、スタッフとも新しい顔ぶれも揃い、重責を担う後藤敏博ヘッドコーチにこれまでの想い、現在の心境を語ってもらった。 

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身長が高かったから、誘われてバスケの道へ

福岡市で生まれ育ち、小学5年の時、背が高いからと誘われたのがバスケとの出合い。それまでは野球をやっていて、1年ごとに10cmずつ伸び、多分170cmはあったと思います。中学でも大きくて目立ち、野球もやりたかったけど、やはりバスケ部に入ることになりました。

中学の練習は、大きい選手はドリブルも、外角シュートもしてはいけないという時代。僕はゴール下で待っていて、シュートを入れるだけでした。リングが近いから入れて当たり前で、ドリブルする選手が羨ましいとか思いながらプレーしていた記憶があります(笑)。

高校では先生から注意されないのをいいことに、強引なシュートとか、かなり個人プレーが多かったと思います。進学校ながら強豪チームだったので、国体やインターハイに出たり、高校選抜チームに選ばれたりで、それなりにバスケに熱中していました。

 

転機は、試合に出してもらえなかったこと

大学はガードのポジションで入りながら、期待に応えられずセンターにコンバート。大きな転機になったのが2年の時で、日本学生選抜として韓国と対戦した際、ほとんど試合に出してもらえなかったこと。非常に悔しく、大学に戻ってから一生懸命練習したんです。それから大学のチームも強くなり、関東リーグやインカレで優勝することができました。

卒業後は熊谷組に入り、1年目に日本代表の候補に。ところが熊谷組の遠征に、代表を抜けて参加した試合で右のアキレス腱を断裂。その日、練習では妙に調子が良く、ダンクすると両手の肘までリングに入るほどジャンプできて‥。そういう時に限ってダメですね。断裂して一気にジャンプ力が落ちてしまった。僕はセンスというよりパワーでバスケットをするタイプなので、なんとか続けたものの、思うようなプレーができなくなりました。

熊谷組で5年やって、佐古選手のいるいすゞ自動車へ。ところが今度は膝蓋腱の完全断裂に加え、足底筋膜や膝前十字靱帯も痛め、まともに練習できない日々ばかり。なんとか4年続けましたが‥。

 

忘れられない試合

現役時代の忘れられない試合は3つあります。まずは24歳の時、日本代表チームでアジア大会予選リーグの韓国に勝った試合。前半20点ものビハインドを逆転、僕が20得点以上したので覚えています。次は大学時代、インカレ優勝を決めた試合。相手の青山学院大にはエース外山がいて、大接戦の末どうにか勝つことができました。3つ目は日本リーグ熊谷組の2年目で、松下電器に勝って優勝した試合です。

余談だけど、アキレス腱や靱帯を切ったゲームも忘れられません。怪我は後々まで自分に響いてくるので、若いうちから自己管理し、できる限り避けないと‥。

 

大きな縁に感謝して進む指導者の道

指導者としては1998年、徳島県代表女子を国体で率いたのがスタート。2000年からWJBLトヨタのコーチになり、途中JBL福岡に移り、また後にトヨタに戻り、ヘッドコーチに就いてからは皇后杯優勝も経験。そして一昨年はカナダ、昨年はアメリカへ、トヨタに在籍しながら2、3カ月ずつコーチ留学しました。アメリカではたまたま、WNBLのドラフト1位とNBAのドラフト1位の選手がいるチームを見ることができ、非常に勉強になりましたね。

Bリーグが始まった昨季は、帰国してからゲーム解説も担当させていただいた。仙台のゲームも岡崎市での三河戦を解説。ところがその試合で仙台は第1クォーターにわずか3点しか取れず、「もっと頑張らないとB1で戦うのは難しいかな」と思いましたね。その仙台に今年、自分が呼ばれて来たのは大きな縁。毎日、このご縁に感謝しながら指導に当たっています。

 

単身、朝型生活、おおざっぱなO型

愛知の豊田市に自宅があり、家族は妻と2男1女。単身で来ていますが、これまでも留学や遠征などでの一人生活は慣れているので‥。最近は焼くだけの肉や魚に、炊飯器で炊いたご飯と、自炊もできるようになりました。ただ体重管理のため夜は水分をメインにして、早めに寝ています。あ、水分はもちろんお酒(笑)。スポンサーのやまやさんでサッポロさんの焼酎「ささいなた」、コカ・コーラさんの「森の水だより」を買って、焼酎水割りです。夜10時には寝て朝3時半か4時に起床し、練習メニューを作ったり、練習ノートを書いたり。朝の作業ははかどりますね。

趣味はスポーツ観戦や、リーダー学のような本を読むこと。ただ仙台に来てからはチームイベントなどで忙しく、ゆっくり休んではいませんね。まだ仙台の街も、住み心地もわからないというのが実情です。

僕の性格は血液型そのものの、おおざっぱなO型。時間にのんびり、忘れ物も多く、掃除は休みの日だけです。でも、こうと思ったら絶対曲げないとか、変なところにこだわるとか、面倒くさい部分もあるかも‥。長所は人付き合いのいいところかな。人といる時に時間が遅くなっても、帰りたいと自分からは言いません。言いたくても言えないんですが(笑)。

 

目指すバスケットのため、あえて課していること

今季、仙台が目指すのは、厳しいディフェンスから速い展開で攻めるバスケット。今、選手には細か過ぎるぐらいの課題を沢山出していて、彼らは不本意かもしれない。例えばドライブの足の使い方といったプレー面をはじめ、声がけなどのチームルールとか‥。でも実は全部、自分が現役時代に指導してほしかったことなんです。今考えれば、当時のコーチは「すでに身につけているはず。それでなければ、自分の判断でやりなさい」との思いだったかもしれない。でも僕は理解できず戸惑いました。だから、小さな当たり前のようなことでも、全選手チーム全体で速やかに共有できるよう、大変でも身体で覚えてもらっている段階です。

それにしても、この夏の長雨は困りましたね。湿気が多く、床が滑って練習ができないとか、思うように進まないのだけれど、これを勝てない原因にはできません。それと、開幕までそんなに時間がないのに、コンディションが整わないなど、練習で全選手がそろわないことが多い。ヘッドコーチは指導以外、想定外のことでのプレッシャーも多く、頭が痛いものですね・・・。

 

B1復帰へ、どれだけ危機感を共有できるか

このチームがB1昇格のために必要なことは、まずは選手個人のレベルアップ。そして、選手の持っている力を僕がどれだけ引き出せるか、個の力をどれだけチームとしてまとめられるかでしょうか。

少し懸念していることは、去年降格して悔しい思いをした選手が少ないこと。悔しい経験をした選手でも、B1チームからオファーがあれば移籍できてしまう。ヘッドコーチの僕は、黙っていてもB1復帰へのプレッシャーがかかるんだけれど‥。だから今のチーム全体に、どれだけ危機感を持たせることができるかも関わってきます。僕は大学時代とトヨタのコーチ時代の2回、「降格後1年で復帰」という経験をしています。今季が3度目となるよう、全力を尽くしていきます。

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