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【89ERS PRESS Vol.54】白戸大聖の心 - 仙台89ERS

接戦をものにできず、プレーオフ進出の可能性を失ってしまった仙台89ERS。それでも、高岡ヘッドコーチの目指すディフェンス中心のバスケットが具現化できてきたことは、昨今の試合内容に見て取れる。こうした中、新加入ながら攻守に高い身体能力を見せているのが、白戸大聖選手だ。これまでの歩みや、高校時代を過ごした仙台への思いなどを語ってもらう。   (3月14日取材)

 

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マイケル・ジョーダンに憧れた、中学校時代

正直に言えば、自分は小さい頃、バスケットボールよりもサッカーが好きでした。でも、両親ともバスケの経験者で、家のテレビでNBAを観る機会が多かった。そのうちに2学年上の姉がバスケを始め、試合を観に行くうちに、バスケも面白そうだなと思い始めました。

本気でバスケを始めたのは中学校から。でも、入った熱海中学校のバスケ部はめちゃめちゃ弱く、自分は調子に乗り、格好つけてやれてましたね(笑)。マイケル・ジョーダンに憧れて、リストバンドを肘の辺りに着けたりして‥。中学3年の時は身長が180cm位になっていたけど、インサイドプレーというよりは、ポストプレーばっかり、振り向いてフェードアウェーシュートとか。それでも、最後は静岡県の県大会出場までチームを引っ張ることができました。

中3の時、U16代表の選考合宿に呼ばれていくと、同い年のメンバーたちが、どこの高校に進学するとかの話になりました。その際、仙台の明成高校との声が多く、僕も進路を考えるようになりました。

 

明成高3年時、2013年ウィンターカップで悲願の頂点に

結局、U16のメンバーも多くいた明成高校に進学。1年のインターハイでは、先輩を差し置いて自分たちが出たものの、県大会2位で全国へは行けず、その年のウィンターカップも予選負けでした。2年の時は両方とも全国へは行けたけれど、ベスト16止まりでした。

高校3年になった時、1年に八村塁(現:ゴンザガ大学)が入ってきたんです。夏のインターハイは八村はまだ実力が出ず、僕が点取りに行ったものの、準決勝で敗退。ところが八村がU16代表で9月の世界大会に行ってきた途端、覚醒したんです。すっかり彼のチームになり、上級生は脇役に回って彼をどう生かすかと‥。その結果、ウィンターカップで悲願の優勝を果たしました。大濠を相手にシーソーゲームが続いたけれど、最後は10点差ぐらいで勝ち、すごくホッとした記憶があります。高校3年間、練習も試合もきつかったので、やっと終わったという不思議な感覚。もう終わりという悲しさもないし、感動の涙も出なかったですね。

 

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優秀な先輩と指導者に育まれ、バスケの楽しさを知った

大学は誘いを受け、地元にも近かった東海大で寮生活。能力のある先輩が沢山いたので、そのプレーを見て、一緒に練習できたことは自分の身になりました。いまアルバルク東京のザック・バランスキーさんは3学年上で、頭のいいプレーヤー。1学年上の中山拓哉さんも素晴らしかった。いま京都の伊藤達哉さんが1番ポジションで大黒柱だったけど、インカレの時に怪我をしてしまい、急遽中山さんがポイントガードをすることに。当時全く違うポジションだったのに、どこでもできて身体が強く、パスもうまい。人間的にも尊敬しています。大学時代はできる先輩ばかりで、心身ともにキツかったけれど、楽しくもありました。

恩師である明成の佐藤久夫先生、東海大の陸川章先生は、かなり対照的。久夫先生は自主性を大事にしながらも、怒られることもたくさんありました。いまになって理解できるけれど、当時は怖かったですね。反対に陸川先生全く怒らない。プロを多く輩出していることもあるのか、プロは全部自分でやらなきゃないということを意識付けさせていたようです。おふたりからは多くのことを教わりました。

 

合流後すぐ試合に出て得点もでき、驚きと感謝と

自分は実業団に進む気はなく、普通に会社勤めをしようと考えていました。ところが大学3年の時にBリーグができて先輩たちがどんどんプロになり、話を聞いているうちに、僕も目指そうとなった。

特別指定選手として仙台に合流したのが2月初め。その1週間後の愛媛戦で試合に出してもらえた時は、とても驚き、嬉しかったです。そして、自分のような新人にもパスが入ってシュートも決めることができた。ミスしても先輩たちはポジティブな声がけをしてくれ、有り難いと思ったし、これがプロの世界かとも思いました。メンバーが限られるプロは、誰がいつどうなるか分からず、ちょっとでも気を抜くと置いていかれるし、先輩後輩関係なくチームプレーに徹しなければならない。その辺は肝に銘じ、しっかりしなくてはと思っています。

仙台はみんな優秀な先輩ばかり。志村さんはチーム全体を見渡しているベテランとしてリスペクトしています。同じポジションでは溝口さんがすごいと思う。経験が豊富で、身体の使い方もシュートも上手く、考え方もしなやかなので、見習っていくつもりです。

いま自分がプレーでアピールしたいのはディフェンス。大学時代、ディフェンスは技術ではなく気持ちだと教わったんです。思い切りディフェンスで頑張り、周りを勢いづけるきっかけになればと‥。

 

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大聖、名は体を表わす!? 他人思いの父親を尊敬

自分の性格を言えば、シャイでお調子者。初対面は無理だけど、ちょっと仲良くなると何でもしゃべってしまうし、ばかばかしいこともやっちゃう。隠し事ができないんです。京哉さん(谷里選手)にもよくちょっかいを出すんですが、やり過ぎなのか最近は無視されることも‥(笑)

「名は体を表わす」と言われますが、僕がその典型かもしれません。「大聖」の名は、「大きくなれ。聖の字のように、耳で人の話をよく聞き、口でしっかり話し、王様のように堂々と生きなさい」という思いで、親が付けてくれました。実際の自分も、聞きたくないことまで聞こえてしまう地獄耳だし、この通りおしゃべりで、態度は堂々を超えてずうずうしい。全く名前そのままです(笑)。

この名前を付けてくれた父親は、尊敬する1人。自分のことを二の次に考え、常に他人を思いやり、他人に尽くすんです。僕が大学の寮を出る時も、仕事の疲れもいとわず駆けつけ、掃除などを手伝ってくれました。あまり面識のない後輩たちにも食事をご馳走するなど、僕の周りの人も深く人を思いやる優しい心は真似していきたいです。

 

仙台の温かい人情が好き。これまでの出会いに感謝も

仙台は好きな街です。高校で来た頃から思うのが、仙台の人は優しく、温かいということ。例えば雪が積もって歩く所が狭くなり、すれ違う時に道を譲ることがありますよね。すると皆さん必ず、「すみません」と頭を下げながら通っていく。さりげないことでも、こちらも温かい気持ちになります。

そして、高校の3年間をこの仙台で過ごして愛着があるし、お世話になった地に何か恩返ししたいという気持ちがある。一番はやはり、佐藤久夫先生に感謝を込めて。正式なプロ選手となる来シーズンも、ぜひ仙台でプレーしたいです。

座右の銘は、大学の時から変わらず「一期一会」。仙台の高校に来て優勝できたのも、いままた仙台にいられるのも、色んな人々がいて、1つ1つの出会い、ご縁があってのことなんです。全ての方々との出会いに感謝しています。

 

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皆さんに元気が届くようなハッスルプレーを目指します

オフの日は、車を持っていないのであまり出歩かない方だけれど、先輩から誘われて温泉や食事に行くことはあります。それと仙台にいる高校時代の友人と、会うこともあります。寝ることも好きですね。

食事は自分で作ることは少なく、コンビニ弁当は塩分が気になるので、外食が多いですね。たまに惣菜を買ってきて、自分で米を炊くこともあります。

験担ぎのルーティーンは、試合前に気持ち上げる音楽を聴くこと。仙台のブースターさんは、遠くのアウェー戦にまで応援に来てくれ、とても力になります。シーズンは終盤ですが、チームは気持ちを1つにして戦い、勝ちをものにしていきます。僕も見ている皆さんに元気が届くような、ハッスルプレーを目指します。

これからも応援よろしくお願いします。